読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

誰かの場所の複数

残念な感じです

おれをダメにするチューハイ

最近成人病が気になるので常飲する酒をストロングゼロに変えているんですが、これ、ソリッドな酔い方をして妙に行動的になるし、寝て起きた時に頭の痛さ半端ねぇしおれは飲まない方がいいやつですね。ロング缶2本とショート缶1本飲んだら完全に仕上がってしまいました。1人の時に酒を飲まないようにしたいんですがなかなか難しい。

りゅうおうのおしごと!5巻を手に取ることができなかった

6連勤明けて給料日だなって昼過ぎまで酒飲んでふらついて帰ろうとしたら駅の本屋にダンジョン飯りゅうおうのおしごと!の新刊が置いてあって、両作の大ファンなので喜んで買おうとしたんだけど、りゅうおうのおしごと!の新刊に手を伸ばした時に昨年10月以降に起きた色んなことが酔っ払った頭の中に駆け巡って、買わずに帰ってしまった。

まあ、それはそれ、これはこれってことで多分今日買いますが、感想は書かないようにします。りゅうおうのおしごと!は大好きなライトノベルです。読者として、ネガティヴな評価を下すのであれば「作品のみ」に射程を絞るべきだし、将棋界、というか、現実世界の「竜王」に対して非常に複雑な思いを抱えているおれには、それは出来そうもないからです。

りゅうおうのおしごと!は売れまくってるし、アニメにもなって欲しいと思うんで、以降は何も書かずに買い支え専用のファンになる所存です。

 

追加 りゅうおうのおしごと!5巻、買って読みました。皆さん買って読んでください。おれの感想戦は無し、という事でお願いします。おれは大したラノベ読みではありませんが、白鳥士郎という作家は信頼ができるという事だけは力強く断言しようと思います。

労働の日々

夜勤6連勤はもう無理な年齢に突入してる。今日行けば明日明後日休み。疲れた。2月は出勤少ないのにクレカ使いまくっちゃって青ざめていたらバイト先がちょうど金稼がせてくれるっつーので単価上げて働かせてもらった。これで今月無駄遣いしなければなんとかなるだろ。定期買わなければいけないの少し辛いんだが。

そうだ、円盤を買うオタクになろう。

自分語りです。

昨日、Twitterを眺めていたらフォローしている人のTLが熱くなっていた。

 

wasasula.hatenablog.com

 

 

件のエントリは端的に言えばコンテンツへの愛の話しなのだけど、読んでいて、かなり刺さった。何故かと言えば、おれがアニメの円盤を殆ど持っていないからだ。

手持ちの円盤は、劇場版の作品に限定がされていて、TVシリーズの作品を購入したことは今までに一度も無かった。

 

これには、様々な理由があるのだけど、主な理由を述べれば以下の4点だろうか。

・おれにはそもそも蒐集欲求が薄い(モノに対しての執着が薄い)

・ケチなので、アーカイヴで安価で観られるなら、それでいいと思っていた

・キャストコメンタリーという文化に興味を持ちたくないし、なるべく声優さんのお姿を拝見したくない

・年収が非常に低いフリーターなので、可処分所得を円盤に割かなかった

 

こんな所だろうか、一つずつ説明をしていきたい。

 

まず、おれはガキの頃から非常に蒐集欲求に乏しい人間だった。服や靴やグッズやCDやレコードやトレカなどもそうだし、1番カネをかけている書籍ですら「読めれば何でも構わない」というタイプの人間で、この辺りが自分を「オタクモノ」として見做せない大きな原因だったりもする。割安な電子書籍に移行できないのは、デバイスとしての書籍が中々に優秀だからだとしか言いようが無い。電子書籍で済ませられるなら済ませたいというのが本音だし、おれの部屋は本以外はさほどモノが無い。小説家の西村賢太の日記を見て非常に驚いたのは、西村の丁寧な書籍の扱い方だ。書籍というメディアへの愛が、あの私小説の源泉になっていることは間違いが無い。翻っておれはと言えば、帯どころかカバーを取ってしまう事もかなりあるし、寝っ転がりながら本を読むことも多く、カネに困って漫画を売るときなどは、まんだらけの店員に「タイトルは良いのに状態が・・・」と閉口されたことも一度や二度では無い。こんな人間に、コレクターとしての資質があるはずもないのだ。

 

次に、おれはかなり率直に言って吝嗇な人間だ。奢り癖があったり、博打狂いであったりする反面、去年購入したモノの中で最も高価なのが、1万円弱で購入できるニューバランスのスニーカーだ、という事でお察し頂けるかと思う。4320円でアーヴィン・ウェルシュの本を買ったときは、「こんな高い本二度と買うか」などと思ったものだ。

話しをアニメに移そう。おれはAmazonプライム会員で有り、とバンダイチャンネルの有料会員なので、二つのサービスにカネを落としている。ニコニコ動画にも年末まで、毎月固定費を支払っていたのだから、ウェブサービスにはそこそこカネを払ってはいて、ニコニコや、バンダイチャンネルでお気に入りのアニメを購入をすることもわりとあった。ガンダムOVAバンダイチャンネルでカネを払わないと見られないのに、プライムビデオで普通に見られたりするのはどうかと思うのだが。

ウェブサービスでのアニメの購入が、どれくらい制作陣に寄与するのか、ということは、おれには全く分からないのだけど、金銭の支払いがある以上(おれが数回課金をした、ニコ動のふらいんぐうぃっちの全話パックはだいたい1500円くらいで買っている)は、全くのゼロ、ということは無いはずだ。

円盤を買うことが、アニメに対しての一番の応援になる事くらいは知っている。なので、そこに対してはおれがアニメ視聴者になった2010年から常に葛藤は持っていた。ウェブでの購入は、円盤を買うほどでは無いにせよ、好きなアニメに少しは貢献をしているんだ、という言い訳を心に施す為には好都合だったのだ。モノが残らない、というのも気楽で、おれのような人間には好都合だった。

 

 

で、円盤の特典でよくある、キャストコメンタリーや声優さんのお姿拝見文化について。

これは、一言で言えば、おれが声優という仕事を単純に「職能」として捉える人間でいたい、というそれだけのことだ。例えばおれはきんいろモザイクが凄く好きなんだけど、CDを購入した時に特典でついていたMVは1度も見たことが無いし、声優ユニットの誰が誰かをわからないくらいの立ち位置でいたい、というのが本音だ。まぁ現代においては中々難しいのだけど。ちなみにTrySailは未だに誰が誰かわかんないので、そのままでいたい。これは、おれが90年代後半の文化放送アニラジによって「教育」された名残と(緒方恵美久川綾はわりかしオタにキツめの当たりをかましていた)、おれ自身が気持ち悪い声オタになってしまう可能性が非常に高いってことと、日大の演劇科出身であり、売れない声優のやってるバイトの筆頭格として知られる、コールセンターという業界で働き続けて、微妙に声優とニアミスをしてきた人生経験のせいだろう。

声優になりたくてもなれなかった人も、口だけで何もしなかった人も、驚くくらい売れた人も、なれたけどバイトをしないと喰えない人も、人気が出そうで出なかった人も、沢山見てきた。

こういう人生経験が無かったら、クリスマス声優スレッドに何かを書くような人間になっていた可能性は全然あるし、むしろ地としてはそっちに近い。

円盤を買うようなオタクは、声優さんのファンだって沢山いるし、キャストコメンタリーや映像特典の文化を否定するつもりは毛頭無いが、おれにとっては正直、アニメを楽しむためのノイズになってしまう。例を一つあげれば、『たまこラブストーリーの』の円盤をおれは持っているのだけど、山田尚子や竹田明代のスタッフコメンタリーは何度も聞いたが、キャストコメンタリーは数分聞いて聞くのを辞めてしまった。

これは完全に言い訳なのだが、スタッフコメンタリーの割合がもっと高ければ、円盤を買っていたかもしれない、というアニメはいくつもあった。

 

最後にさくっと、おれの可処分所得について。おれは34歳になろうとする大人にしては相当に貧乏だ。去年の年収は250万くらいだけど、バイト先から交通費は出ないし月の手取りで言えば、15万強というのがリアルなところだろう。おれは吝嗇でありながら飲み食いに金をかける人間で、酒が入るとカネの使い方が極端にだらしなくなる。老齢の両親と弟と寄り合って暮らしていて、相当の世話をしては貰っているが、一応月々6万円は親にカネを渡していて、奨学金の返済が月に1万5千円ある、ということで可処分所得が察せられるだろう。勿論、おれ以下の可処分所得でアニメの円盤をせっせと買っているオタクは沢山いるだろうから、これは言い訳でしか無い。ただ、おれはなんだかんだで書籍を月に1万円以上は購入しているので、円盤を買うくらいなら書籍を買いたい、というのが正直なところだった。

 

ここまでが、おれが「円盤を買わなかった理由」であり、つまり全部、金があるのに、理屈を付けてコンテンツに金を落とさない連中の言い訳である。

 

で、ここからが本題。長ぇよ!

 

ここまでぐだぐだ書いたけれど、本当はこれが全部「言い訳」だって事はおれもよくわかっていた。これでおれはいいのか?という葛藤は、ずっと持っていたのだ。

のめりこむくらい好きなアニメを、買える程度には金があるくせに、買わなくても良いのだろうか、という自問自答。「買えなかった」のでは無くて、「買わなかった」という事実。おれは今、『ふらいんぐうぃっち』という作品が凄く好きなのだけど、二期を望むのであれば、円盤を買うのが一番なのに、言い訳だけして、買わなくても良いのか、このままアニメに金を落とさない気持ち悪いおじさんになっていっていいのか。

それは嫌だ。

おれは、あのアニメの「続き」が見たい。続きが実現したときはおれが落とした金が、一助になったという勘違いをしたいし、実現しなかったときは、後ろめたさを少しでも排除したい。ファンだ、と胸を張って言いたい。

そう思ったときに、おれは衝動的に消費行動に走った。テンションが上がりすぎて、こんなツイートを残すくらいには熱くなっていた。

 

 

人生で、初めておれはアニメのTVシリーズの円盤を購入した。正直に言えば、カートに商品を入れて、決済をするとき、「来月の支払いどうしよう、2月はバイトそんなに入れないのに」という気分になったことは事実だが、たかだか6K、パチ屋にいれば30分で溶ける金額なのだ。

何故5巻から買ったか、と言えば、特典にスタッフインタビュー集が付いていたからで、あの「日常の魔法」をどう作り上げたか、という事を知りたいと思ったからだ。今、手元にあるスタッフインタビュー集を開きながらこのエントリを書いているのだけど、確かな充足感を感じる。おれがこのどうしょうもない人生で生んだ金銭が、あの世界の源泉になる可能性があるのなら、悪くは無いのではないか、という気分だ。

揃えるまでに時間はかかるかもしれないけれど、1年かけてでも円盤を揃えたいな、と思っている。

今後、他にも円盤を買う作品が出てくるかどうかはわからない。だけど、本当に、心から好きだ、と思える作品に出会えたら、月末に震えながらも、決済のボタンを押せるような、そんなオタクになりたいとおれは初めて思えたのだ。

おれのアニメとの向き合い方を変えてくれた、インターネットの、めんどくさい歳若いオタク達に、感謝を捧げます。

 

ありがとうございました。今後も色々教えてください。

 

一応の証拠として

[uploading:A9C39195-C4CD-4A81-9B4A-02A1CF5FD166/L0/0f:id:idepopver3:20170209120338j:image

 f:id:idepopver3:20170209120406j:image

 

買いましたよ。右四間とトーチカ本はもう中古でしか手に入れられなくて、買うことが三浦九段の直接の利益には繋がらないので…あとは金無いんだよ俺は。貧乏なんだ。

将棋のことについて何か書くのは本当にこれで最後にします。

三浦弘行九段の無実を信じきれずに、初動で疑ってしまったことを改めてお詫びします。

三浦弘行九段、本当に申し訳ありませんでした。誰かと対局することはありませんが、一生将棋に触れ続けて、三浦先生を応援することを誓います。

映画『虐殺器官』に5400円を支払ったので感想を書こう

いきなりカネの話しかよ。

映画『虐殺器官』が公開されて丸3日が経過しようとしているが、おれはこの映画を2回観た。何故2回で都合5400円を支払ったのかと言えば、弊バイト先に勤務する年下の上司を無理矢理「おれがカネを払うから隣で君も観ろ」とバイト明けに引っ張ってTOHOシネマズ新宿に赴いたからだ。劇モニー(劇場版ハーモニー)にも件の上司は付き合わされており、劇モニーの周知の出来を経験したせいか、同じ原作者なら趣味じゃ無い、とわりあいウンザリした雰囲気を出されつつも、観ないとおれが文句を勤務が被る度に延々と言い続けるという恫喝に屈し、計劃の残弾を一緒に眺めることになった。何故そんなことをしたのか、と言えば、おれがTwitter虐殺器官の感想を眺めたところ、わりと評価をする向きもあって、「もしかしたらこれはおれが何も分かっていないのかもしれない」という恐怖に駆られたからだ。TOHOシネマズ到着後もアルコールはキメずに、眠気覚ましに珈琲を買い求めて、満員のシアター7で鑑賞に望んだ。初見では眠ってしまったのだけど、再鑑賞では全部見ることが出来た。ということで、以下感想をつらつらと。

 

 

率直に書けば、映像的、音響的な快楽に乏しかった劇モニーに比べれば、かなり気持ちの良い場面が多かった。オープニングの携帯デヴァイスの近未来感、ルツィアの騎乗位と喘ぎ声(櫻井にも唸らせて欲しかった)の艶めかしさ、戦場で記号的にパタパタと倒れていく市井の人々、月光のゲージの上げ下げから重厚な音楽にスライドしてのタイトルバックと、アルコールの影響下に無い頭と眼で映像を眺めると、初見よりもずいぶん魅力的に思えた。ピザで油まみれの指でウィリアムズが携帯を掴み、眉をひそめるクラヴィスを映してからの指しゃぶりとチュパ音はおれの心の腐女子魂を呼び覚ますには十分で、後半の子どもをFPSみたいにばかすか殺す描写も、殺戮対象の「顔」を認識させない映像が、最終盤にルツィアの顔面がウィリアムズの銃弾によって損傷してしまうインパクトと好対照だった。

「ブードゥ・チャイル」と「プライベート・ライアン」と「ホーリー・グレイル」を国産のアニメーションに組み込め、というのは無茶であって、原作の意匠が踏襲されていたは兎も角として、異様に力の入ったフットボールの映像も楽しむことが出来たし、公開までの製作陣の困難を鑑みれば、原作ファンとして、ここまで映像化をしてくれたことに感謝を捧げるのが筋なのかもしれない。

 

無理なんだけど。

 

結局の所、おれが小説『虐殺器官』の何を愛しているか、という事を一言で言えば、「マザコンボンクラ青春小説」として愛している、という事に尽きる。30過ぎたくせに大人になれないスノッブディレッタントな趣味をお持ちの「軍人の」ナイーヴさを物凄く愛しているんだよ。

なので、その文脈を汲むことが無かった映像作品を、それはそれ、これはこれとして割り切って良いモノとして受容するレセプターはおれには無いし、狭量だと言われても知ったことあるかそんなもん。原作は原作、映画は映画なんていう大人ぶったマントラはクソだ。あの映画にクラヴィスがルツィアを「好きになる瞬間」が何処にあったんだ。告白をしろよ告白を。

感情を調整された兵士が好きな女を喪失した直後、口をOの字にして声にならない叫びを上げるエモさを完全に無視したクッソつまんない中村悠一(いやおれ大好きなんだけどな)の叫び声や、「ほら、ソリッド・スネークが指示を出す側ですよ、故伊藤計劃さんが愛したスネークですよ。面白いでしょー?」とわかってる感を出したいが為にキャスティングされたとしか思えない大塚明夫(結婚おめでとうございます)等、本来魅力的な実力のある声優陣の力量がマイナス面に作用した、というのは声優ファンとして非常に悲しいモノがあった。

小説『虐殺器官』には、ジョン・ポールが好んだバラードの小説とスピルバーグの映画の差違をルツィアが語るシーンがある。

あの映画はストーリーは忠実だけど、原作はもっと乾いていて残酷なの、とルツィアは語り、ジョン・ポールが映画よりもバラードの世界観に惹かれていたことを明確に示している。翻って村瀬修巧の『虐殺器官』は伊藤計劃が記した「物語」にある程度忠実でありながらも、伊藤計劃の「文体」に触れること無く映像化をした。

これが製作陣の意図したものであったとすれば、小説への間口を広げる広告としての役割は果たしているのかもしれないけれど、原作の持つ力に隷属しただけで、解釈も何もあったもんじゃ無いのではないだろうか。ラストの「THIS」「IS」「MYSTORY」のポストイット→「これがぼくの物語だ」→指パッチン音虐殺の文法発動→暗転→EGOISTのダブステップポップ→おしまいの流れは、率直に言って「クソダセえ!」とスクリーンに向かって叫びたい欲求を押さえるのに精一杯だった。

結局、おれが「つまんねぇ原作厨」認定されるのは仕方が無い。

終演後に件の上司と酒を呑みながら感想を語り合ったけど、上司はこの映画を存外に楽しんでいて、「要するに井出ちゃんは文句おじさんで観た人はだいたい楽しんでると思うよ」と言う言葉を浴びせられたのだけど、おれにとっては許容の出来ない大嫌いな映画だという事がハッキリ分かったので、円盤が世に出た暁には購入して文句を言い続けてやる所存だ。

 

原作ファンの人でもこの映画が好き、と言う人はインターネット上に結構いて、どちらも好き、と思えるだけの感性を自分が持ち合わせていないと言うことに若干の悲しみはあるのだけど。

あ、でも、公開記念Tシャツは結構かっこよくて欲しいな、とかって思いました。サイズがMしかなくて、上司に「デブだから君は着られないよ」と言われてさらに泣きそうになったんだけどな。

 

 

ぼくが如何にして虐殺器官公開初日を過ごしたか

2月3日に映画、虐殺器官を新宿TOHOシネマズで観てきた。

始めに断っておきたいのは、このエントリは映画についてのレビューでは無く(それっぽいこと書くかもしれないけど)、タイトルの通り、おれの日常の備忘録に過ぎないので、レビューっぽい物を読みたい人は別のブログを読んだ方がいいという事だ。

劇場版ハーモニー、所謂劇モニーからどれくらいの時間が経ったのだろうか。ついに、この日がやって来てしまった。「出来ればお蔵入りして欲しかった」とマイナスな感情を向ける者もいたのだろうが(おれとか)、おれが時間が自由になるフリーターである以上、観ない訳にはいかないので、2月2日の夜半にウェブで最速回のチケットを買い求め、朝の7時前に家を出た。そんな時間に家を出るというのは、常に無いことであり、おれは通勤電車に乗ると異常に疲弊するという持病の持ち主なので、新宿駅に到着する頃には心身に異常を来し、不快感を紛らわすために駅のコンビニで発泡酒を買い求めて、駅構内で一気に飲み下した。

おれは実際の所、さのみ酒に強くない人間であるため、1本の発泡酒で覿面に気持ちが良くなってしまい、よせば良いのに、その足で西武新宿駅脇にある、一軒目酒場になだれ込んでしまった。

いわし明太やもやし炒めをつまみに、ビールをウィスキーと混ぜた飲み物を煽り始めたのだけど、1日前から禁煙を始めたことも手伝って、インターバルを喫煙で取るということが出来ずに、常より急ピッチでアルコールをきこしめしてしまい、大分酔っ払ってTOHOシネマズに足を踏み入れた。

当然、金曜日の朝の映画館に酔客などいないのだが、おれはアルコールを追加することしか考えられず、850円もするビールへの悪態をTwitterで呟きまくりながらも買い求めてしまい、足をよろめかせながら席に向かい、上映を待った。

映画が始まってから数十分は、「もしかしたらこれは観られる作品なのかもしれない」とか「あれ、わりと戦闘格好良いじゃん」とか、そういうことを考えていたのだと思う。その後すぐに「吐いてしまったらどうしよう」という不安が頭によぎるくらいには酩酊してしまい、ビールを飲みきれなかったら勿体ないな・・・とスクリーンとカップホルダーに視線を行き来させているうちに、何分か、何十分かはわからないけれど、寝てしまっていた。具体的に言えば、チェコでのジョン・ポールとの邂逅で意識が途絶えて、気がついたときはインドで戦闘が始まっていた。

だから、おれは映画を最初から最後まで、きちんと観たわけでは無い。その間に、観ていない何かがある以上、映画を評する資格は本来おれには無い。

それでも、おれはどれだけ酒に酔っていても、映画館で映画を観ている間に、寝たことなど今までの人生の中で、1度くらいしか無いのだ、という事は書いておきたい。

ラヴィスが叫び(叫ぶはずなど無いのに)、EGOISTの音楽が流れ、劇場に明かりが付いた頃、おれは「母親への言及はあったのだろうか」という事を一瞬考えて、おれが寝ていた何分か何十分かではそれが言及されていないことを確信して、全部見てもいないのにTwitterに悪口を書き出した。

映画は人物を観るモノでもテーマを観るモノでも無くて、映像の連なりを観測すると言うことだけだ、みたいなことを、伊藤計劃は書いていたはずだなのだけど、おれには、どうしても目の前で繰り広げられた映像の連なりが「虐殺器官」には思えなかった。

この映像は、おれが読んだ「虐殺器官」では無い、という事実を、狭量さなのか感性の鈍さなのかは分からないけれど、受け入れることは出来ない、という子どものような我が儘な感情だけが自分を包んでいたし、その気分を抱えたまま、編集プロダクションに勤めているライターの後輩に「観てきたけど観なくていいぞ」とLINEでメッセージを送り、誰も見ていないTwitterで映画を罵倒して、家に帰って酒を呑んで寝た。

起きた時にまだ酒は相当に残っていて、二日酔いのまま夜勤におもむき、休憩中に思いのままに小説虐殺感のページをひもとき、少しだけ心が和らいだような気分を味わいながら、仮眠をして、バイトを終わらせて、家に帰って酒を呑んで、この文章を書いた。

 

これはぼくの物語か?

全部観るために、もう一度観に行きます。全部素面で見て気が向いたら、感想を書くかもしれないです。