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誰かの場所の複数

残念な感じです

闘争領域の拡大について

図書館で予約していたミシェル・ウェルベックの「闘争領域の拡大」を借りることが出来たので読みました。おれがこの小説を知ったのは1年くらい前にインターネット上の知り合いが書いた文章がきっかけで、読みたいな、とは思っていたのだけど生活範囲の本屋で見かけないし密林で本を買った事が無いので(なんとなく避けている)読まないまま1年が経ってしまっていたわけです。短いのでサックリ読めました。んで、これから感想を書きます。率直に言って最高に嫌な小説なのだけど、元気になりますね。当分死なないで良さそうです。ラファエル・ティスランは頑張った(俺ガイル調に)。

この小説を読んだおれは、経済の領域でも、セックスの領域でも敗北者です。経済の領域でそれなりに満足が出来る人生を送れた可能性はゼロでは無かったはずなのですが、日々のバイト暮らしで摩耗して、『進学校に通っていた』という細やで哀れなプライドすら維持が出来なくなっています。中高の同級生でフリーターやってるやつっていないんじゃないでしょうか。ちなみに、おれの言う満足って32歳で年収350万とか400万とかあれば最高って感じですからね。恐らく、おれの人生で、それだけのカネを稼げる時間はやってこないでしょう。女性とは3年間寝具を共にしていません。ブコウスキーは何年だったかな?この年数は、今後伸び続いていくと思います。正直に言って、今後女性と交際できるとか、全く思えないのです。いま俺が生きる2015年の東京には、太陽の塔で描かれたようなクリスマス・ファシズムの風が吹き荒れています。昨日、職場の同僚と池袋でガルパン劇場版を観る前にサンシャインシティを冷やかしたのですが、見目麗しい学生カップルの姿を見るたびに、心を折られ続けていました。実際おれは、19歳まで童貞で、制服を着て女性と街を歩く、という成功体験を味わう事はありませんでした。このあたりの事は生々しいのでアレなのですが、闘争領域の拡大で主人公が語った通りに、おれもまた、青春時代の恋愛を知らない孤児なのです。おれの幼馴染至上主義とかギャルゲ趣味とかはこの辺が起因していると思いますが、それはそれとして。

 

ウェルベックの小説をおれは「素粒子」とこの「闘争領域の拡大」しか読んだ事がありません。が、二作には共通点があります。主人公の対になる男性がいて、その男性は性的な不満を抱えている、という事です。ブリュノとティスラン。非モテ男性のエモーションを揺さぶるこの二人の哀しさを、ウェルベックは徹底的に突き放して描写します。ブリュノはティスランに比べればまだましかもしれません。ブリュノは作中でパートナーを得ることが出来るのですから。ティスランは作中に何も得ることが出来ません。彼は非モテのブサイクの童貞として作品に現れ、そのまま死にます。作中で何度も何度も女性にアプローチをかけては失敗を繰り返す、それだけの哀れな男です。

失意に塗れたティスランは主人公から作中で成立した若くて美しいカップルを殺すよう教唆されます。「あいつら殺しちゃえよ」とカジュアルにナイフを渡す主人公も相当にぶっ飛んでいますが、ティスランも一度は乗り気になります。ティスラン、リア充殺す。しかし、ティスランはナイフを手にしただけで、マスを掻くだけに留まります。

このティスランのオナニーを、おれは絶対に笑う事は出来ません。約束された、敗北のオナニー。闘争領域の弱者の敗戦処理

 

主人公はこの残酷な社会のゲームの中で彼は戦い続け、希望を捨てなかったと語ります。最後まで、ティスランが求めたものは、ウェルベックが「観測可能」と書く「愛」に他なりません。たぶん、おれもティスランはと同様に、諦めないでしょう。マスを掻きながら、リア充を憎みながら、血が流れる事を望まずに。

 

誰からも愛されずに死んだとしても。