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誰かの場所の複数

残念な感じです

見なければいけない時期を逃す、ということ

おれは元来映画好きでは無い人間です。高校生の頃、オーケンのエッセイを読んで映画に関心を持とうとした時期は確かにあったはずなんですが、結局この年になるまで、あまり映画を見ることの無いまま人生を過ごしてしまいました。人と話していると、自分の映画体験の乏しさに愕然とすることは多いんですよね。で、昨日ようやく「太陽を盗んだ男」を初めて見たんですよ。この映画のタイトルを知ってから16年くらい経っているはずです。YAMASHITAを聴いてもエヴァ破を思い出すよりも先に「パチンコじゃん」ってなってしまって、オタク者としての民度の低さを露呈したり。で、見たらやっぱ面白いんですよね。面白いんですけど、見てる間に「あ、これ遅くても20歳までには見ておかなければいけない映画だったな」って感覚に捕らわれて、落ち込んでしまいました。高校生の頃、日本のマイナーな音楽を聴こうとして、神保町のジャニスに通っていたりした時期があったので(大して活用しなかったけど)、見ようと思えば17歳の頃に見る事は出来たわけです。でも、おれは見なかったし、映画体験が乏しいまま生きてきたから、恥ずかしいことに動いている菅原文太を見るのも初めてでした。遅すぎるとしか言いようが無いし、手遅れだと言う感覚を振り払うことは、多分一生出来ないのだと思います。

おれはエロゲの全盛期、1999年から2005年くらいまでの間にPCを持ってなかった人間なので、ここ6年くらいで初めて田中ロミオ麻枝准や丸戸文明のゲームに触れましたが、そのことについて「若い頃やるべきだったなぁ」とはあんまり思わないし(時間が若い頃よりも無いので、シナリオゲーに可処分時間を配分できないという難点はあるけど)、最近見てるガンダムについても「今がその時期なんだな」って前向きにとらえることは出来るんですよ。おれは何につけてもネガティブな人間ですが、表現の消費者としては吉田拓郎の人生を語らず、という歌のように、遅すぎることはないし早すぎることは無い、と言う言葉の信者でした。今はこう思わざるを得ません。

それは嘘だ。