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誰かの場所の複数

残念な感じです

杉田俊介著 非モテの品格男にとって「弱さ」とは何かによせて

 

chaosnote.hatenablog.com

 

 

 

夜勤明けて新宿駅構内の本屋で杉田俊介さんの新著を購入。あと、良く行く本屋におれ狙い撃ち(被害妄想)で一点だけ置いてあったトレインスポッティングスキャグボーイズを購入。4320円は高すぎる。ハヤカワいい加減にしてくれ。

ミスドで少し読んでから家に帰って読了して少し寝て起きてニコニコで将棋を見ながらこの文章を書いている。

おれと杉田さんの関係(と、おれが勝手に思い込んでいるようなもの)は興味がもしあれば上記のエントリを参照して貰えれば良いと思う。

自分の人生の困難な時期を支えてくれた物書きを何人か上げろ、と言われたら杉田さんはそのうちの一人だ。

これから本書の書評(書評という言葉をあえて使おう)を記すが、おれ自身の過剰な自分語りが9割を占めるだろう、という事は、事前に書いておく。

正直に書こう。タイトルと、本を売るための当然の戦略として採用された帯絵を福満しげゆきが担当すると知った時には心がざらついた。

「マジでこのタイトルなの、勘弁してよ」

つまりまぁ、そういうことだ。長渕剛論以上に読むのが気が重かった。

40過ぎてるんだろ、不惑とまではいかないまでも、もーちょっと鷹揚でいてくれよ、きっちり世に出てるんだから、今更それやんないでくれよ、それをやるのは35くらいまでの人間の仕事だろ、勘弁してくれ。

こんな感じの言葉が、おれの内部に渦巻いたことは事実だし、嫌悪を感じた。

おれ自身の事を書く。

おれは長野県で生まれて、東京で育った。

私立芝学園中学校・高校を卒業後、一浪の後に日本大学芸術学部に入学して卒業した。そのまま社会から逃げるためだけに大学院に進学して、修士論文を一文字も書かずに中退して以降は、夜勤のフリーターとして生計を起てている。おれはウェブを「本名と匿名の間」で使うことを信条としているので本名は記さないが、名字はHNの通り井出なので、特定をするのは簡単だ。

去年の年収は230万円。女性とは、丸4年間ベッドを共にしていない。

体重はそうでもないが、腹回りは完全に肥満していて、悪癖であるアルコールとギャンブルと睡眠に問題を抱えている。日本学生支援機構に年収と同じ借金があり、経済的な自立を果たせる見込みはない。

9月に目出度くないことに33歳、ゾロ目になり、今後の人生で彼女を作ることと、結婚をすることと、子どもを作ることを完全に諦めた。

自らを、非モテの当事者だと規定している、ヘテロセクシャルだ。思春期の頃から異常に濃かった全身の体毛のせいで、醜形恐怖症を抱えていた。

人生のある局面で、完全に行き詰まったときに、杉田さんの文章に触れたのは、少しだけ経歴が似ているように思えたからだと思う。

大きな違いがあるとすれば、杉田さんは本書に書かれているとおり大学院でも、社会人になってからも努力をした、ということだろう。おれは逃げ続けている。何かを書きたい、という思いだけが自分の内面に燻り続けたまま、ただ一編すら短編小説や批評を書き上げることが出来ずにいる。

SNSをユーモラスに使うスキルが欠乏しているので、ツイッターのフォロワーは一桁だし、数少ない友人との付き合いも殆ど無くなった。

ブログの日平均PVは20~50で、100PVを超えれば自分の中ではバズった部類に入る。

おれは人生を駄目にしたし、取り返しはつかない。今のところ死ぬ予定はない。

略歴を記したのはある種の露悪趣味なので、責任の表明でも何でも無い。こういう人間が書いている、という事を念頭に置いてくれる人がいたらいいな、程度のささやかな期待を少しだけ持っている。必要があればこのエントリも消す。

本書を読んで、その過剰なまでの生真面目さに面食らった。

ユーモラスの可能性を訴えながら、笑えそうな部分が何処にも無い。リアルすぎる。ミシェル・ウェルベック西村賢太チャールズ・ブコウスキーの小説に出てくるような非モテが持っている、必死すぎるがゆえのおかしさをおれは「あるある」と笑うことが出来るけれど、本書に書かれた著者自身の恋愛経験を通した葛藤は、同じような経験をおれも通過してきたので、全くもって笑うことが出来ない。

杉田さんは「水増し」という言葉を使うことがある。関東圏内に産まれた事、中産階級の両親が経済的な担保になってくれたこと、大学に行ける程度の学力を育てて貰える環境にいたこと、これらの自力外の幸運を水増し、と呼び、可能な限り自覚的であろうとする姿勢は、デビューから一貫している。ヘテロ男性でいることは、単純な水増しなのだ、と言う。

おれも、そうなのだと思う。しかし、おれの今の苦しみは、その与えられた水増し=自力外の幸運故に発生しているとも言える。

バイト中、過去の自分の失敗を自虐混じりに語った後、同僚がおれにこう言ったことが忘れられない。

「それだけ良い両親に、それだけの環境を与えられて、何でその仕上がりなの?」

そうだ。おれは、与えられた環境からすれば、良い大学に、最低でも6大には入らなければいけないはずだった。自立を果たさなければいけなかった。結婚をして、子どもを為さねばいけなかった。それらを全て果たせないまま、「夢を追うための大学」に入学して、「夢を追うことすら出来ずに」33歳になった。

正直に記す。おれは、そのことがもの凄く苦しい。年々、苦しみは大きくなっていく。

酒が入れば、おれが受けた水増しそのものを、憎むこともある。この長くない文章を記すのに、ものすごい時間がかかってしまった。本書が要求する、自分の中の痛みを痛みそのものとして直視して欲しい、という要求は、殊の外しんどいものがある。

おれは、今、ライトノベルを書いている。新人賞に出すためだ。いや、嘘だ。本当は、少し書いては止まってしまって、完成にはほど遠い。

どうやったって、「自分には書き上げることが出来ないんだ」と諦めかけている。ワナビにだってなれやしないまま死ぬ自分を、受け入れつつある。

私淑するチャールズ・ブコウスキーが「たったビール二本で酔っ払って自分は文章が書けると信じているどうしょうもない連中」と唾棄するうちの一人がおれだ。

おれは、前述したとおり、恋愛を完全に諦めた。

諦めたつもりではいる。

諦めたかったわけじゃない。苦しみ抜いて、自分でそう決めた。だが、それは本当なのか?本当に諦めていたら、タイトルに腹が立つことも無かったのでは?

わからない。

本書に記されたセクシャリティやケア論については、おれは殆ど意見を持たない。

というか、関心を寄せるだけの余裕が無い。

おれは一体に世の中に関心が無くて、生きていくためにフィクションの慰みが必要な人間だ、という事が分かってからは、所謂非モテ論や、弱者男性論、貧困論等からは遠ざかってしまっているし、ツイッタでその手のアカウントをチェックすることも無くなってしまった。でも、それは、本当にそうなのだろうか?おれは本当に世の中に興味を失ってしまったんだろうか?世の中に参画できないから、ひねくれているだけなのでは無いだろうか?

繰り返される自問自答ってか。オッサンになったから、しんどいんだよな、そういうの。おれは、そんな文句を心中で零しながら、今後も本書を読むだろう。

最後に、杉田さんへの私信。

どうか、健康で。