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誰かの場所の複数

残念な感じです

『この世界の片隅に』 そして日常は続く

テアトル新宿で金曜日の朝一番の回を観てきた。テアトル新宿に入るのは、塚本晋也の『KOTOKO』を観て以来なので、5年ぶりになったんだけど(3年くらい前だと思ってたのでビビってる)平日朝一番の回なのにチケットカウンターは長蛇の列で、戦争物っつうこともあってかシニア層がかなり多めでしたね。映画始まる頃にはほぼ満席になってたんじゃ無いでしょうか。

で、映画なんですけど、恥ずかしい告白をすると、見終わった後、感動して拍手をしてしまいました。何というか、普通に拍手していたとしか言いようが無い。

原作は6、7年前に買って読んでいたんですけど、生活苦に陥ってた頃に売ってしまっていたので、『夕凪の街 桜の国』と記憶がごちゃごちゃになっていて、基本的なストーリーを忘れていましたね。買って読み直そうと思います。つーことで、以下雑感。

「可愛いな」と言うどうしょうも無いロリコンおじさんの如き呟きが、口の端から漏れそうになるほどに、すずは可愛らしかった。おれは普段から芳文社原作のアニメを愛好しているので、アニメのキャラクターの可愛らしさを消費することに心身が慣れきっている。キャラクターが可愛ければ嬉しい。

本作を「日常系萌えアニメ」の文脈に準えて語るかどうか、という事についてはおそらくかなり白熱した議論が展開されているのではないだろうか。まだインターネット上のレビューを何一つ見ていないのだけど(ツイッタ除く)何となく想像がつく。おれも他人に勧める惹句として、「日常系萌えアニメだから気軽に見ておいでよ」くらいのことは言うかもしれないない。元あまちゃんが演じるすずは、折り目正しく、萌えキャラであるようにおれには思えた。こういう消費の仕方をする人間に拒否反応を示す人がいるのは真っ当な反応だと思うので、その辺りはだいぶ自分でもモニョっている部分もある。

ただ、「ぼんやりと夢うつつで生きている」すずの日常は他者の犠牲と、単純な幸運の上に成り立っているのだ、という事を我々もすずも否応なく自覚させられていく。1945年の広島には原爆投下というカタストロフが用意されていて、戦時下という日常から原爆へ、原爆から終戦という必定のシークエンスをすずが体験することを、観客は事前に知っている。

それでも、生き残れば日常は必ず続く。

絵を描くのが好きで得意なすずの右腕は、幼い命と共に喪失されて、二度と取り戻されないかのように思えるけれど、同じく大切なものを喪失した別の幼い命に、雨風を凌ぎ、身体の衛生を保てる「人間らしい日常」を贈与することによって、最後に観客の前に「またね」なのか「さようなら」なのかは分からないけれど、挨拶をする為の器官として再生されることになる。正直に言って、ここは号泣でした。

おれは実はあの有名な『火垂るの墓』を見たことが無い人間なのだけど、今まで見た国内産戦争映画では、本作がベストだったし、必ず観た方が良いと思います。

あとあれな、元あまちゃん芝居うめぇ。良い感じの役取ってった潘めぐみさんは4、5年前に日芸のわりと大規模な飲み会(屋台村っていう小汚い台湾料理屋が江古田にはある)でお見かけしたことはあって、「ララァの娘だ!!」ってざわつかれていたのが記憶に残っていたのだけど、お話少しだけしたらめっちゃいい人でした。売れまくった今となっては単純に良い思い出ですね。