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誰かの場所の複数

残念な感じです

映画『虐殺器官』に5400円を支払ったので感想を書こう

いきなりカネの話しかよ。

映画『虐殺器官』が公開されて丸3日が経過しようとしているが、おれはこの映画を2回観た。何故2回で都合5400円を支払ったのかと言えば、弊バイト先に勤務する年下の上司を無理矢理「おれがカネを払うから隣で君も観ろ」とバイト明けに引っ張ってTOHOシネマズ新宿に赴いたからだ。劇モニー(劇場版ハーモニー)にも件の上司は付き合わされており、劇モニーの周知の出来を経験したせいか、同じ原作者なら趣味じゃ無い、とわりあいウンザリした雰囲気を出されつつも、観ないとおれが文句を勤務が被る度に延々と言い続けるという恫喝に屈し、計劃の残弾を一緒に眺めることになった。何故そんなことをしたのか、と言えば、おれがTwitter虐殺器官の感想を眺めたところ、わりと評価をする向きもあって、「もしかしたらこれはおれが何も分かっていないのかもしれない」という恐怖に駆られたからだ。TOHOシネマズ到着後もアルコールはキメずに、眠気覚ましに珈琲を買い求めて、満員のシアター7で鑑賞に望んだ。初見では眠ってしまったのだけど、再鑑賞では全部見ることが出来た。ということで、以下感想をつらつらと。

 

 

率直に書けば、映像的、音響的な快楽に乏しかった劇モニーに比べれば、かなり気持ちの良い場面が多かった。オープニングの携帯デヴァイスの近未来感、ルツィアの騎乗位と喘ぎ声(櫻井にも唸らせて欲しかった)の艶めかしさ、戦場で記号的にパタパタと倒れていく市井の人々、月光のゲージの上げ下げから重厚な音楽にスライドしてのタイトルバックと、アルコールの影響下に無い頭と眼で映像を眺めると、初見よりもずいぶん魅力的に思えた。ピザで油まみれの指でウィリアムズが携帯を掴み、眉をひそめるクラヴィスを映してからの指しゃぶりとチュパ音はおれの心の腐女子魂を呼び覚ますには十分で、後半の子どもをFPSみたいにばかすか殺す描写も、殺戮対象の「顔」を認識させない映像が、最終盤にルツィアの顔面がウィリアムズの銃弾によって損傷してしまうインパクトと好対照だった。

「ブードゥ・チャイル」と「プライベート・ライアン」と「ホーリー・グレイル」を国産のアニメーションに組み込め、というのは無茶であって、原作の意匠が踏襲されていたは兎も角として、異様に力の入ったフットボールの映像も楽しむことが出来たし、公開までの製作陣の困難を鑑みれば、原作ファンとして、ここまで映像化をしてくれたことに感謝を捧げるのが筋なのかもしれない。

 

無理なんだけど。

 

結局の所、おれが小説『虐殺器官』の何を愛しているか、という事を一言で言えば、「マザコンボンクラ青春小説」として愛している、という事に尽きる。30過ぎたくせに大人になれないスノッブディレッタントな趣味をお持ちの「軍人の」ナイーヴさを物凄く愛しているんだよ。

なので、その文脈を汲むことが無かった映像作品を、それはそれ、これはこれとして割り切って良いモノとして受容するレセプターはおれには無いし、狭量だと言われても知ったことあるかそんなもん。原作は原作、映画は映画なんていう大人ぶったマントラはクソだ。あの映画にクラヴィスがルツィアを「好きになる瞬間」が何処にあったんだ。告白をしろよ告白を。

感情を調整された兵士が好きな女を喪失した直後、口をOの字にして声にならない叫びを上げるエモさを完全に無視したクッソつまんない中村悠一(いやおれ大好きなんだけどな)の叫び声や、「ほら、ソリッド・スネークが指示を出す側ですよ、故伊藤計劃さんが愛したスネークですよ。面白いでしょー?」とわかってる感を出したいが為にキャスティングされたとしか思えない大塚明夫(結婚おめでとうございます)等、本来魅力的な実力のある声優陣の力量がマイナス面に作用した、というのは声優ファンとして非常に悲しいモノがあった。

小説『虐殺器官』には、ジョン・ポールが好んだバラードの小説とスピルバーグの映画の差違をルツィアが語るシーンがある。

あの映画はストーリーは忠実だけど、原作はもっと乾いていて残酷なの、とルツィアは語り、ジョン・ポールが映画よりもバラードの世界観に惹かれていたことを明確に示している。翻って村瀬修巧の『虐殺器官』は伊藤計劃が記した「物語」にある程度忠実でありながらも、伊藤計劃の「文体」に触れること無く映像化をした。

これが製作陣の意図したものであったとすれば、小説への間口を広げる広告としての役割は果たしているのかもしれないけれど、原作の持つ力に隷属しただけで、解釈も何もあったもんじゃ無いのではないだろうか。ラストの「THIS」「IS」「MYSTORY」のポストイット→「これがぼくの物語だ」→指パッチン音虐殺の文法発動→暗転→EGOISTのダブステップポップ→おしまいの流れは、率直に言って「クソダセえ!」とスクリーンに向かって叫びたい欲求を押さえるのに精一杯だった。

結局、おれが「つまんねぇ原作厨」認定されるのは仕方が無い。

終演後に件の上司と酒を呑みながら感想を語り合ったけど、上司はこの映画を存外に楽しんでいて、「要するに井出ちゃんは文句おじさんで観た人はだいたい楽しんでると思うよ」と言う言葉を浴びせられたのだけど、おれにとっては許容の出来ない大嫌いな映画だという事がハッキリ分かったので、円盤が世に出た暁には購入して文句を言い続けてやる所存だ。

 

原作ファンの人でもこの映画が好き、と言う人はインターネット上に結構いて、どちらも好き、と思えるだけの感性を自分が持ち合わせていないと言うことに若干の悲しみはあるのだけど。

あ、でも、公開記念Tシャツは結構かっこよくて欲しいな、とかって思いました。サイズがMしかなくて、上司に「デブだから君は着られないよ」と言われてさらに泣きそうになったんだけどな。