誰かの場所の複数

残念な感じです

まいぺいん

父親が死んでから四ヶ月が経ちました。

わりと突然の死で処理をすることが山積みだったということもあって、親のことを考えたりする余裕が全く無かったというのが正直なところです。というか、今も引っ越し前で悲しんでられないわけですが。

一昨年のこの時期に祖母が死んだので、一緒に暮らしていた親族が二年連続でこの世を去りました。身内の不幸が続いてるんだな、と思います。

親族の死を経験して感じているのは、痛みや苦しみというものは個人の固有の経験であって、血縁とは言えども他者が共有することは不可能に近いな、ということです。

おれの痛みはおれだけの痛みで、分かって貰えるわけではない。

それでも痛みを訴えなければ「ああこいつは今痛いんだな」と他者に認識して貰えないわけで、うわー、人間って超孤独な存在なんじゃね? と思わずにはいられない。

父親のことを考えずに何を考えてるかと言えば、殆ど見ることが出来ていない秋冬アニメのこととか、自分の貧しい経済だったりだとか、年々悪化していく健康状態のことや、止まってしまった小説を書くという行為のことばかり(つまり、大体は自分自身の事)を考えています。考えたってどうにもならないことばかりなので、見るか稼ぐか痩せて医者に行くか書くかしかないわけです。

 

4年前のこの時期に大恩師が死んでしまって、父性という物を一気に消失してしまった感が否めないのですが、それでも暖かくなるだけで何か良いことがあるような気がするのは何なんですかね。往々にして勘違いなのですが。

まぁ生きてて良いことなど殆ど無いんですけど、メシ食えば旨いし性欲溜まったら自分で処理するし風呂入らなきゃ気持ち悪いわけで、それらが自力で可能なだけですごい事なんだよなーと。

痛かろうが苦しかろうが生活は続くし、何とか続かせていきたいな、と思っています。

しかし、人間って死んだらどうなるんすかね。

今んところ、おれは「無」になって欲しいなって思ってるんですけど、どうなんでしょうか。黄泉の国も天国のこともイマイチよくわからないので、父親が今どこにいるのか、ということを考えると、陳腐なことこの上無いけど「記憶」の中にいるんでしょうし、そこにしかいて欲しくないなーと思います。

悪い記憶は生きていくために忘れていくんですけどね。改ざんされるし。まぁそれでもなるたけ覚えていたいな、とは思うのですが、忘却が人間にとって重要な生存スキルだってのは事実だなーということも実感しています。